「じゃあ、これお姉さんからプレゼント」
そう言ってキャシーから手渡されたのは、手のひらの上に納まる程度の包み紙だった。
長細い袋上で、上部を細いリボンできゅうと止められたそれは、僅かながらに甘い香りを溢れさせている。
「菓子か?」
「そ。最近この街で流行ってるんですって。長細いクッキーにチョコレートがかけられたお菓子よ。お店のお茶請けにと思って買ってみたの。よかったら貰って頂戴。あとこれはバイト代ね」
ランドルは稀にではあるが、キャシーの喫茶店を手伝っている。きっかけは用心棒がわりだった。
彼女も騎空団の団員であり、戦闘能力はある。けれどもやはり女性一人というのは狙われやすく、ガラの悪い連中が立て続けに訪れた時期があった。
試しに店に立ってほしいと言われ、それくらいならと引き受けたところ、一人でも男がいるとなるとガラの悪い連中の数は激減したのだ。
キャシーも同じ騎空団の団員でもある年下の少年を危険な目に合わせたいわけではないので、何かあれば自分が身体を張って守るつもりでいたが、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまった。
それからというもの定期的にランドルが店に立ち、切り盛りを手伝っている。
月に数回程度の出勤ではあったがランドル目当ての女性客も増え、店はそれなりに繁盛しているようだった。
「別にいいって」
「だめよ。労働にはきちんとした対価が払われないといけないの。依頼受けてるのと一緒よ。またお願いね」
そう言われて、バイト代と一緒にその菓子の入った袋と持ち帰り用の温かいカフェオレ二杯を紙袋に入れて貰い、店を後にした。
騎空艇に帰ると、その足でそのまま談話室へと向かう。
少し奥まった場所にある小さな談話室は、あまり人気が無い静かな場所だ。そこを気に入って利用しているラガッツォは今日も一人、ネコを侍らせながら静かに本を読んでいる。
ランドルの姿に気が付いたのは、ラガッツォの足元にいるネコだった。ちらりとランドルを見ると立ち上がり、ゆっくりと伸びをする。
室内に踏み入ったランドルがラガッツォの前の席の椅子をひき腰を下ろすと、するりとネコはランドルの足に絡みついた。
集中しているのか、ラガッツォは全く気付いていない。二人の間にあるテーブルにカフェオレと貰った菓子の入った紙袋を置き、ランドルは足元に絡まるネコを抱き上げ自らの膝に下ろす。
ネコはすぐに丸くなり、ランドルの腕に頭を摺り寄せた。喉元撫でてやればゴロロゴロロと喉を鳴らし、気持ちよさそうに目を瞑る。
ちょいちょいとあやしながら、紙袋から一つカフェオレの入ったカップを取り出すとそれはまだ温かい。
喫茶店を手伝っているとコーヒーの香りを嗅ぐことが自然と増える。いい匂いだと感じていたが、それを口にしたことはなかった。貰ったバイト代でコーヒーを頼もうとしたら、まだちょっと早いかしら? と、キャシーはミルクたっぷりのカフェオレを出してくれたのが、ランドルにとって初めてのコーヒーとなったのだ。
コーヒー=苦いものという認識をしていたが、たっぷりのミルクで割られたカフェオレは苦味などほとんど感じない。ミルクのせいなのか、口に入れた瞬間は柔らかな甘みが舌を包む。ごくりと喉に通すとやっと喉の奥の方から僅かながらのにコーヒーの苦味を感じ取れるのだ。香りは薄まるものの、それでもかぐわしい香りも鼻からふわりと抜け、それを素直に美味しいと感じていた。
それからというもの、バイト代の一部をカフェオレとして受け取り、帰り道や艇に戻ってから楽しむようになったのだ。
フェザーにも一度飲ませてみたがあまり好みではなかったらしく、ラガッツォに飲ませたら大人しく飲んでいたので、それ以来こうしてラガッツォの分も合わせて持ち帰るようにしていた。
茶請けにすると言っていた菓子も貰っていたことを思い出し、紙袋からそれも取り出した。結ばれたリボンをしゅるりと解くと、溢れていた甘い香りは更に強く鼻孔をくすぐる。覗き込めば、確かに細長い棒状のものが数本入っていた。
一本そこから取り出せば、それは12~3㎝ほどの長さをしている。
褐色のクッキー生地に赤いつぶつぶとしたものが混ぜ込まれたピンク色のチョコレートが10㎝ほどかけられて、見た目がとてもかわいく出来ている。
鼻に近づければ甘さだけではない香りがツンと刺激した。甘酸っぱい、イチゴのチョコレートなのだろうか。
口に入れ歯を立てれば、それはさくりと簡単に折れた。チョコレートはとても薄くかかっていて、大半は褐色のクッキーで出来ていた。
さくり、さくり、噛みしめればココア味のクッキーと甘酸っぱいチョコレートが溶けて交わる。たまにカリっと歯にあたり広がる酸味は、イチゴを乾燥させ砕いたものなのだろうか。その酸味も丁度いい。舌の上で広がるそれらは、とても美味しかった。
ぱきぱきと簡単に折れてどんどん口の中に納まり、あっという間に一本を食べ終えてしまう。見た目の可愛さと食べやすさも相まって、確かにこれなら甘いモノを好む女性たちの間で人気が出るのも納得ができた。
その口のままカフェオレを流し込むと、これもまたよく合う。店で出すというのなら、きっと人気が出るのだろうなと考えながら、もう一本、更にもう一本と手が伸びてしまった。
「いるなら声かけろよ」
「集中してるのに邪魔したら悪いと思ってな」
ランドルが何本目かの菓子をさくりと噛みしめたところで、ラガッツォは気付いて声をかけた。
読んでいた本を片手にもち、目の前に置かれている紙袋からカフェオレの入ったカップを取り出す。もう人肌程度には冷めているが義手では温度がわからない。念のためカップの傍でふぅ、と息をかけ冷ましている。ずっ、と口につければやっと冷めていることに気付け、傾ける角度を増した。
「豆変えたか?」
「あーそんなようなことも言ってたかも」
「カフェオレにはこっちのが合うかもなァ」
ごくりと飲み込み、ラガッツォは再び本に視線を戻した。
ランドルが近くにいても、本を読み進めることをやめることはない。それを分かった上で、ランドルもその場にいる。ネコを撫で、カフェオレを飲み、たまにラガッツォと会話を交わしながら、夕飯時になるまでの時をのんびりと過ごす。
「さっきからなんの匂いだ? お前なんかつけてんのか?」
「あぁ、菓子食ってた。今日帰り際に貰ったんだ。お前も食うか?」
ラガッツォはくんと鼻を動かし、カフェオレと異なる甘い香りについて尋ねた。ランドルは手に持っていた菓子をもぐもぐと口にしながら、菓子の入っている袋を覗き込む。しかしそこにはもう菓子は残っていない。もともと数本しか入っていなかったものを、気付けばランドルは全て食べ尽くしていたのだ。
「あ、わりぃ。今ので最後だったわ」
「なんだよ。ねェのかよ」
「今街で流行ってる菓子なんだとよ、明日買いに行ってみるか」
「いや」
がたりと椅子から腰を上げたかと思えば、胸倉をぐいと掴まれる。ネコが膝にいたこともありランドルは反応しきれず、ぐらりと体勢を前へと崩した。咄嗟にテーブルに手をつき完全に崩れることを防いだものの、近づいたラガッツォの顔はそのまま受け止めることになってしまった。
触れた唇の間をするりとラガッツォの長い舌が割込み、咥内をねろりとなぞるとすぐに離れた。
「これでいいわ。ごちそーさん」
一瞬の出来事に、ランドルは何の抵抗もできなかった。ラガッツォはイチゴか? と味の感想まで呟きながら、まだ残っていたカフェオレに口を付けている。ぱちりと瞬きをし、ランドルは前傾姿勢になった背中を椅子の背もたれに戻す。突然のことを理解するのに時間差があったものの、触れた唇と舌の感触を思い出し、ランドルの心臓はドンと大きく跳ね、ガガガッと音を立てるかのように顔だけでなく首まで赤く染めた。
「なんでそうなんだよ!」
「あァ? 別にいいだろ、減るもんでもねェ」
「減るわ!」
「なくなったっていうからちょっと味見しただけだろ」
「すんなよ! 人の口から!」
「んだよケチくせェ」
不満そうな声でそう言いながら、再びラガッツォは本に視線を落とす。ランドルもまた、落ち着け菓子の味見だと自分に言い聞かせるように膝の上でこちらを見上げるネコの喉を撫でた。
とっとっとっと足早に跳ねる心臓の音が、やけにうるさく耳にまで届く。
「あ」
何かを思い出したかのようにラガッツォが声をあげると、今度はなんだとランドルはそちらに視線を流す。
口元を本で隠しながら、ラガッツォはランドルに視線を送ると、ニィといたずらっ子のように目元を綻ばせながら口を開いた。
「初めて、だったな?」
「……! そういうとこだぞお前!」
どっどっと再び強く胸を打ち付ける心臓は気のせいなんかではない。意味を持って触れたのだとわかってしまったから、それは更に強くなる。
初めて触れた唇は甘酸っぱさとほろ苦さが残る、一瞬の出来事だった。
高鳴る胸の音を抑えるように、まだ手の内にあった空になった菓子の袋をくしゃりと握り潰した。