「……場所、考えろよ」
「わかってるよ……」
深夜。共同の風呂場に二つの人影。
灯りもつけず、頭上からサアアと流れ落ちる水が僅かな音をかき消していた。
普段使える大きな風呂場の横にある、浴室の利用時間外に個人が簡単に汗を流す為の簡易シャワー室内から、微かに熱を持った声は漏れる。
大きな風呂場は湯を沸かして使える時間が限られているため、それ以外の時間はシャワーで済ませることが多い。
五つ並んだその一室に、例外として二人の男がそこにいた。
一人は二の腕から先が両腕とも今はない、ラガッツォ。
普段は義手を付けて生活をしているが、防水ではないその義手は風呂やシャワーなど水を大量に使う場所では使うことができない。
そのため介助人として立ち会っているのがもう一人の男、ランドルだった。
真夜中に艇に戻ってきたラガッツォの身を清めるために待っていた――わけではない。
建前としてはあっているが、別の理由でわざわざ待っていたというのが正しい。
ランドルに背を向け、ラガッツォは短い腕を壁につき身体を支えている。
泡立てられた石鹸で頭の上から足の先までランドルによって綺麗に洗体されたのち、今は指先が尻の狭間に滑り込み、ぐちりぐちりと体内を開こうとしていた。
「っぅ、ん……」
「声、押さえとけよ」
「無茶、いう……ん……」
身体に籠った熱は、戦闘の後の興奮からくるものだけではない。
無理矢理作った、これから日が昇って周りが起き始めるまでのほんの短い時間での、恋人とのひとときへの期待感。
触れられ受け入れるために広げられる場所から湧き上がる快感。
吐息と共に零れる声色は甘く熱い。
「っは、ぁ……」
体内を抉るようにぐちぐちと尻の穴を広げる長い指は、何度も前立腺を掠めて撫でる。その度にラガッツォはたまらなく声が漏れそうになるのを、必死に押し殺そうとしていた。
「ぅァ、も……へいき、だってェ……」
「よくねぇ。久しぶりなんだから」
「ん、ん……も、いい……」
早く。早く。
目を瞑り快感を追いかけながら、ラガッツォは短いままの二の腕をランドルの顔に伸ばし、甘えるように顔を寄せた。
近寄った顔はすぐに重なり、舌先をねろりと絡めながら互いの呼気を奪いあう。
唇を啄ばみながら、ランドルは三本目の指をラガッツォ尻の穴に潜らせていく。ラガッツォのそこは蠢くようにその指を迎え入れ、びくりと腹を引くつかせた。
「ゃ……べェ、から……も、はっぁ……」
切なそうな声で訴え、ずれた唇はあむあむとランドルの頬を食べるように甘く噛みつく。
「あー、くそ……入れてぇ」
久しぶりの触れあいに、限界寸前なのはラガッツォだけではない。ランドルだって状況は同じだった。
痛いほどに硬く立ち上がった自らの下半身を、ずり、とラガッツォへ押し当てる。
それに呼応するように、ラガッツォの身体は熱を増す。今ここに自由になる両の手があったならば、たまらずランドルの熱く立ち上がったものをずろりと取り出し、形を確かめるようにしごきあげていたかもしれない。
もどかしいほどに短い腕は、それを掴む手のひらがない。
引き寄せることすら叶わないもどかしさに、ごきゅと音を鳴らして唾を飲み込んだ。
「も……部屋、戻るぞ」
呼吸を乱したラガッツォは、今すぐここでそれを入れて欲しくて溜まらなくなっている疼きを必死に抑え込みながら、ランドルから少し体を離す。
ずるりと抜け落ちる指を名残惜しそうに尻の穴は吸いつき、腰からふらりと崩れそうになった。
すかさずランドルはラガッツォの身体を支え、もう一度深く唇を重ねる。
腰に触れられるだけでも、ぞくりと快感の波が襲う。変に触れあえば性器にも触れず、前立腺も撫でず、抱きしめ合うだけでもラガッツォは達してしまいそうだった。
水にぬれ顔に貼りついた長い前髪を撫でつけるように耳にかけてやれば、すっかりと熱で熟れた視線がランドルに向けられている。
「俺んとこでいいよな」
問いかけというより、それは決定事項のような言い方だった。それにラガッツォも大人しく頷く。
ランドルの部屋はこの場所から比較的近い場所だった。別にどちらの部屋でも構わないのだが、とにかく早く抱きしめ合って、求めあえる密室を後先考えずに選んでしまうほど、互いを求める欲望が止まらなくなっている。
身体についた水気を拭きとるのもそこそこに、ランドルはラガッツォに服を着せた。腕だけは水気をよくふき取り、外していた義手を再びはめ込む。
扱いにも少しずつ慣れ、義手の指先で布地を切り裂いてしまうことも減った。器用に自らの濡れた頭をタオルでわしわしとふき取りながら、テキパキと脱ぎ捨てた服や濡れたタオル類をまとめて抱え込んでいるランドルを見る。
「ん」
片方の義手ではタオルで頭の水気をふき取りながら、もう片方の義手をランドルへ向かって突き出す。ランドルもその義手を手に取り、きゅっと握り込んで腕をひいた。
ラガッツォはその掌の温かさこそ伝わらないものの、握りしめられた感覚や引き寄せられる衝動を感じて、口元をくすぐったそうに歪める。
別に自分で歩ける。義手を差し出したのは、早くランドルの温度を感じたいという意思表示。
それが伝わったかどうかは定かではなかったが、ランドルはそのまま廊下に出て自室に向かって歩きだす。
少しだけ、いつもより足早に。
こんな時間じゃ誰とすれ違うこともないけれど、誰にも明かしていないこの関係を見せびらかすように艇の中を歩くのは、ドッドッと胸を打ち付ける音を大きくさせていた。
◇ ◇ ◇
窓の外はいつの間にか薄暗く、夜の闇は過ぎ去り太陽が顔を覗かせようとしている。
ぬくもりを求め久しぶりに重ねた肌は離れがたく、欲のまま貪りあったあとの身体は気怠く重い。
それでも眠りに落ちるのは惜しく、二人ベッドに並んで寝ころんだまま、腕を身体に回しぽつりぽつりと言葉を交わしていた。
「少し寝ないと今日持たねェぞ」
「お前が帰ってくる前に少し寝てるし、一日寝ないくらいでぶっ倒れるほど軟じゃねぇよ」
「俺とセックスするために寝る間も惜しいってかァ?」
「おめぇもだろうが。昼前にはまた出るんだろ? さっさと寝ろ」
「眠くねェ、つか俺はお前が行ったあと寝るからいいんだよ」
「……そーかよ」
義手を付けたままのラガッツォの指先は、さらり、さらりとランドルの髪を弄ぶ。
感触は何もわからないが、目の前で自分の動かした義手の指先からしゅるりと逃げてはベッドへと落ちていくピンク色の髪を、愛おしそうに指に何度も絡めていた。
気が向けば唇を合わせ、頬を撫で、顔を肩口に埋め、互いの感触を確かめ合っている。
寝てしまえばそのぬくもりもわからず、声も聞こえない。柔らかく自分を見つめるその表情を、今は一秒でも長く見ていたい。
目を瞑る、その時間が惜しい。
ランドルはラガッツォの首元から襟足に手のひらを滑り込ませ、クッと力を込めて自分の方へと抱き寄せた。
ぎゅう、と音が鳴りそうなほどの力で抱きしめれば、いてェよと抗議の声があがる。
その声は決して苦しそうではなく、くっくっと笑いの籠った声で暖かく耳に届いた。
「…………このまま寝てぇな」
ラガッツォの額にむにりと唇を押し当てながら、ぽつりとランドルの口から零れた言葉に、ラガッツォはフッと鼻から息を吐く。
「らしくねェな」
「……わかってるよ……忘れろ、今の」
思わず口から零れだしてしまった離れがたい気持ちの表れに、恥ずかしくなり頬が熱を持つ。
このままラガッツォを腕の中に抱きながら、思う存分睡眠を貪り、また次目を覚ました時に腕の中にいてくれたら。
久しぶりに触れあった肌を感じながら、そんな日が急に恋しくなってしまったのだ。
「もう少しの辛抱だろ。この忙しさも」
かれこれすれ違いの生活は三週間ほど続いていた。大量に必要な素材を集めるため、いくつかのパーティを組んで各々に任務をこなしている。
あと一週間もすればそれらもほぼ集まる見込みとなって、そうなれば団全体が忙しく駆けずり回る今の状況はなくなるだろう。
得意分野ごとに振り分けられ、稼働時間もバラバラだった。
この三週間ランドルはフィオリトの姿を見ていないし、ラガッツォはフェザーの声すら聴いていない。
それはこの二人の間でも例外ではなく、互いが騎空艇にいる僅かな時間を無理矢理すり合わせることでやっと触れ合うことができた。
数週間の任務なんてあっという間だろうと高を括っていたが、ここまですれ違い続ける生活になるとは思っておらず、一週間が経過したころから会いたい、触れたい、抱きしめたいと、欲求が高まり続けていた。
たった一週間でそんな風になるとは露程も思っていなかったのに、そこからさらに二週間。触れ合うどころか、ろくに顔を見る時間すらほとんどなかったのだ。
いつもならほとんどランドルが世話をしていたラガッツォの身の回りのことを、その間は別の人間がやっていた。
普段からそんな日がないわけではないし、声をかければ誰だって水回りで不便なことは手伝ってくれている。
すっかりここの生活に馴染んだラガッツォに安堵し、自分がいなくても……と思う反面、頼る相手は自分であれと思ってしまう。
ランドルは卑しい自分の独占欲が、日に日に強くなっていくことを感じていた。
気付けば窓の外は大分明るく、コトカタと廊下を静かに歩く誰かの靴音が聞こえてくる。
ランドルが属するパーティを含め、いくつかのパーティが艇を出る時間が刻々と迫ってきていた。
とろりと微睡む感覚を引き剥がし、ギッと音を立てランドルはベッドに腰を掛ける。
あとたったの一週間もすれば、いつもの日常に戻れるから。そう自分に言い聞かせ、ベッドの下に散らばる服を手繰り寄せた。
それでもなおラガッツォは後ろから腹に腕を回し、ぐりぐりと額をこすりつけている。
「いて」
下着に手をかけたとほぼ同時にランドルは腰あたりに痛みを感じ、上半身をひねりながらそちらを見下ろせば、ラガッツォがガジガジと腰肉に歯を立てている。
「いてて、馬鹿やめろ。歯形はさすがにダメだろ」
「ケチ」
「ケチじゃねぇ。見えるとこはやめとけ」
「見えねェとこならいいのかよ」
「……まぁ、見えなけりゃいいんじゃねぇか?」
この回答が正しいのかどうか迷いながらランドルが答えると、ラガッツォはのそりと身体を起こし後ろからランドルの肩に義手を置く。
「着替えらんねぇだろ」
「見えなきゃいいんだろ?」
「あ?」
ランドルが答えるよりも早く、まだ下ろしたままの長い髪をばさりとよけられ、ぐっと後頭部を後ろから押される。首と生え際の間辺りにラガッツォの唇が当たり、ぢゅぅと音を立てて吸われた。
「おま……」
「見えねェだろ、ここなら」
一度唇を離して答えたが、またすぐにラガッツォの唇はランドルへと吸い付く。ぢゅ、ぢゅうと音をたてたかと思うと離れ、義手の指先でそのあたりをぐいと撫でると、ヨシ、と言って離れていく。
「……満足したか?」
「おう」
「じゃ、次お前」
「お? うわっ」
ラガッツォの腕を引くようにして身体を倒させ再びベッドに沈めこませると、手前にごろりと転がしうつ伏せにさせ抑え込む。
足を回し伸し掛かると、同じようにラガッツォの襟足当たりの髪を掻き分け、ランドルは自らの唇をそこへ押し当てた。
ちゅっちゅっと軽く啄ばんだ後ベロリと舌を這わせると、ぴくりとラガッツォの身体が震える。
舌を這わせたまま噛みつくように首筋に歯をたて、続いて唇を落とす。
じゅっと水音を鳴らしながら強く肌を吸い込めば、少しだけラガッツォの身体が強張ったのが伝わってきた。
何も怖いことをしているわけでもない、先ほどまで散々情事を重ねていたのに。
唇を離し、肌が赤く染まったことを確認すると、ランドルは再びそこに柔らかく唇を落とす。頭を撫でるように包めば、やっとラガッツォの身体の強張りが取れた。
互いに残した痕は髪色も相まってパッと見ではわからないし、自分たちも自らの身体についた痕を確認することはできない。
ただそこに残る互いの唇の感覚は、じんじんと鈍い痺れを持って存在を知らしめていた。
タタタと誰かが軽やかに走る音がする。パタン、カチャリ。扉が閉まり鍵をかけた音もした。
まだ比較的静かな騎空艇内では普段は気にならないような僅かな音も耳に届きやすい。
ランドルはそれらの音を聞きながら、身支度を済ませていく。
長い髪を器用に結いあげ、まとまり切らなかったサイドの髪を三つ編みにしてまとめる。
ラガッツォはベッドの上でうつ伏せ状態になり微睡みながら、その背中をぼんやりと眺めていた。
椅子に腰を掛け防具をつけ、最後にランドルに合わせて形を変えたジュワユースを足に装備すると、おっし、と小さく声を出して立ち上がり振り向く。
「じゃ、行ってくる。ここで寝んだろ?」
「おー」
「寝坊すんなよ」
ベッドに近づき、起き上がらないままのラガッツォの頭をわしわしと撫でると、あ、と何かを思い出したような顔をした。
頭を撫でている手がするりと離れ、くるりと踵を返すと机の引き出しから何かを取り出し再びベッドへと戻り、腰を下ろす。
「これ、頼んだ」
チャリ、と音を鳴らしてラガッツォの目の前にぶら下がったのはグランサイファーの個室の鍵だった。
「鍵?」
「出る時、ここの戸締り」
差し出された鍵を受け取ると、ランドルの名前が刻まれたキーホルダーがついている。
ここで寝て起きて、ラガッツォがこの部屋を出る時までにランドルが帰ってくる予定はない。きちんと鍵をかけない団員も多いが、全員が全員信頼関係が築けているわけでもないため、念のため鍵をかける必要はある。
ラガッツォも当然そのまま出ていくつもりもなかったが、団長が全室分の鍵を別に所持しているため、団長に声をかければこの部屋の鍵もしめて貰えるものだと思っていた。
「……おー」
「お前それ持ってていいから」
「俺が持ってたらお前帰ってきたとき入れねェだろ」
自分の部屋の鍵を渡して、次会うときまでは部屋を交換しておけば自分の部屋をランドルが使えるななどと頭で考えが廻った所で、ランドルはもう一つ目の前に同じキーホルダーのついた鍵をぶら下げた。
「そっち、スペアキー」
「あ?」
「使いたきゃこっちの部屋使っててもいいし」
「……お前」
「ん?」
「案外キザなことすんだな」
「うっせ」
ペシンと軽くラガッツォの頭を叩き、ランドルは照れた顔を隠すように立ち上がって乱れた服の裾を整える。
受け取った鍵を金属の義手の中でカチャカチャと弄りながら、ラガッツォはクックックと笑い、上半身を軽く起こして頬杖をつきながら声をかけた。
「気ィつけて行けよ」
「お前もな」
ひらりと手をあげ、ドアをすり抜けるとパタンと閉じてランドルの背中は見えなくなった。
受け取ったルームキーをベットサイドのテーブルに置き、ランドルがいなくなった部屋でラガッツォはスルリとシーツに腕を伸ばす。先程まであった温もりを探しながら一人目を閉じた。
枕に顔をうずめ思い切り鼻から息吸えば、ランドルの匂いはするのに。
一人で眠る日が寂しいなんて思う日が来るなんて思わなかった。
「一人にすんなよ、なァ」
その言葉は誰に届くこともない。一人きりになった部屋の中に溶けて消える。
触れ合っていた身体を抱きしめるように丸め、せめて少しでも彼の温もりが消えぬようにと願いながらブランケットを手繰り寄せ、ふと首筋に義手の指先を伸ばす。
この痕が消えてなくなる頃には、ゆっくり過ごす時間ができるはずだから。
見えはしない首元にあるであろうその痕を撫で、目を瞑った。