nowhere,now here

「じゃあなァ」
視線の先へそう声をかけると、ラガッツォはゆっくりと立ち上がり踵を返して歩き出す。投げた言葉の返答は聞かず、その場をあとにした。
ザァ……とその場に風が吹き抜け、呟いたその言葉は蒼く澄んだ空に溶けて消えていく。
「……」
大地をしっかりとその足で踏みしめ、前へと進む。振り返ることはない。帰るのだ。仲間のいる場所へ。

「どこ行ってたんだ?」
停泊しているグランサイファーへと登れば、開けた甲板の上で手合わせをしていたフェザーとランドルに出くわし、その手を止めさせてしまった。
よくもまぁ毎日飽きずに手合わせを続けられるものだと思いながら、かけられた声に顔を向け軽く右手をあげる。
「ヤボよー」
あげた右手をランドルの肩へとポンとおろし、その横を通り過ぎながら答えた。その手は体がすれ違った少し後に離れ、足は目的地へと歩みをすすめる。天候もよく風もそこまで強くない。甲板には大判の洗濯物なども干されていて、よく乾くだろうとなびくシーツを見ながら思う。手合わせはそれを障害物に見立て、その合間を縫って行っているらしかった。
一瞬声をかけるために止められた手を横目に、かけられた声と投げられた視線を浴びても気にせず進む。長居をすれば余計なことに巻き込まれるからだ。
「野暮用……」
復唱したランドルの声を後ろに聞きながら、読みかけの本もあと少しだったな、今日中に読んでしまおうなんて考えながら、居住スペースへと降りる階段に差し掛かる。
「ラガッツォ! このあと時間があるなら俺と手合わせをしないか?」
叫ぶような面倒くさい投げかけは、幾度となく聞いてきた言葉だった。何度も相手をしてきたし、別に今だって急ぎの用事があるわけではないのだから相手をしても構わない。でも、
「気分じゃねェ。ランドルに付き合って貰え」
「そうか! じゃぁまた今度手合わせしような!」
気分じゃない。その一言でフェザーが納得してくれたのだから、それをありがたく利用した。
トントントンと一定のリズムで階段を一段ずつ降りれば、うおおおおおという声とともに打撃音が耳に届く。手合わせはすぐに再開されたらしい。
自分がいなくてもきっと今までと何も変わっていないであろうその光景は、そのままそこにあればいいのだ。
ラガッツォは今、少し一人の時間が欲しかった。

◆ ◆ ◆ 

ランドルは、一人考え込んでいた。

ラガッツォがグランサイファーの騎空士になってからというもの、ふらりと一人で艇に帰ってくることがある。一人で買い物に出ることだってあるだろうことはわかるが、ごくたまに一人で帰ってきたラガッツォに違和感を感じるときがあったからだ。
その違和感が何かはわからないが、今日はそれを感じた。
手には何も持っていなかった。
髪の長さにだって特に変化はなさそうだ。
医者なら団員の中に数名いるし、わざわざ街まで出る必要もほとんどない。
走り込みをして汗をかいてはいなさそうだった。
気分転換かとも思ったが、あまり気が晴れたような様子もない。
つまりいつもと特に大きな代わりは見られなかったということだ。
けれども、何をするために艇を降りているのかわからない日は確かに存在している。
依頼などがなければ何をしてどう過ごそうと個人の自由であり、そんなところにまで干渉するつもりはない。
気にしすぎだと言われればそうなのだろう。
ただ少しの違和感が魚の小骨のように突っかかって取れないことが、どうしても気持ち悪かった。
全てを把握したいと思っているようなことはないのに、小さな違和感がランドルの中のモヤモヤを少しずつ濁らせている。
その違和感を感じるのは、いつも帰ってきたであろうときだ。一人で出ていくところを見かけられた日に、その感覚を持ったことはない。
今日はたまたま戻ってきたタイミングで出くわしたから声をかけたが「野暮用」の一言で済まされてしまった。
やんわりと詳細を聞いてくれるなと拒絶されたのだ。
野暮用という言葉を使われたらそれ以上深追いすることも出来ない。
そこまでデリカシーがないわけではないつもりだ。
自分が、自分たちが艇に乗らないかと誘った手前、もともと敵対していたラガッツォの動向を多分誰よりも信じて誰よりも気をつけていなければと、どこか責任感のように感じていた。
あいつはもう大丈夫だと信じているからこそ、少しの違和感を見逃すにも早すぎるということを理解している。
「なんだよ、さっきから」
「何が」
「視線がずっと刺さってんだよ」
「……別に」
指摘され、食堂で一緒になったラガッツォのことを視線で追っていたことに気付く。ばつが悪くなりよろよろと視線を泳がせ、食べていたメイン料理に視線を落とした。
「お、お前のも、美味そうだったなって思ってただけだよ」
「……あ、そー……」
白身魚のムニエルに付け合せとスープ、それにサラダとパンがセットになった洋食を食べていたランドルは、チキンソテーに同じ付け合せとスープ、サラダとライスのセットを食べていたラガッツォのメニューの違いで言い訳をしたが、うまく誤魔化されてはくれていなさそうだった。
全く納得がいってなさそうな声色に、なんと言い訳を重ねようかと頭を回転させる。
しかしラガッツォがそれ以上突っ込んでくることもなく、じゃあ一口やるよ、とナイフで一口分を切り分け皿の上に乗せてくれた。
「んで、俺も貰う」
チキンソテーを落としたフォークがそのまま横にずれ、ぐさりと雑に白身魚を分断してかっさらっていく。
「でけぇよ」
「そうかァ? うっま。火加減絶妙でふわっふわじゃねェか」
一口でばくりと白身魚を口に入れ、話題は全く別のものへとそれていく。そのことに安心してしまったが、それと同時に反省もした。

――明らかに、何かを疑っているやつの行動すぎる。信じてるのに。

今のは完全にラガッツォがわざと見逃してくれただけだった。
何を考えているのかも、もしかしたら見透かされているのかもしれないと思うと、自分の中で「でも」や「だって」などの言葉が浮かんでくる。
言い訳でしかない。
信じている、信じたいのに。信じていいのかという疑問が浮上する。仲間だと手を伸ばしたは自分たちなのに。
モヤリと胸の中を曇らせるそれをランドルはどうすることもできないまま、日々は過ぎる。
それから一月ほど経ったときのことだった。

また、違和感を連れて戻ってきたラガッツォに出くわしたのだ。

時間は午後。
日が暮れるまではまだ時間がありそうな頃。ふらりと艇に乗り込んで来て、きっとそのまま部屋にでも帰るつもりだったのだろう。
「買い物帰りか?」
思わず声をかけるとその声に反応して立ち止まり、ランドルの顔を見上げた。
ぱちりと少しゆっくりまばたきをすると、特に顔色を変えずラガッツォは口を開く。
「まー、そんなもん」
今日も見える範囲に購入した品は見当たらないが、買い物に出たが気に入るものがなかっただけかもしれない。
別に何を買ったのかが気になるわけではない。ただの買い物だったのかということが気になっている。けれどもいちいちそんなことまで話す必要はないのだから、答えとして不足はなかった。
まじまじと観察してしまいそうになる視線をそらし、不自然にならないように会話を続ける。
「それくらい付き合ってやるのに。声かけろよ」
「ガキじゃねェんだ、買い物くらい一人でいけるわ」
そう軽口を叩くラガッツォはいつもと何も変わりはない。
今日はすぐに立ち去る様子もなく、今ならフェザーが突然手合わせを申し込んでも受けてくれそうなほどだ。
「お前は? どこか行くのか?」
何か次の話題をと頭をフル回転させていると、ラガッツォの方から新たな話題提供があった。
まさに今釣り竿とバケツを手に出かけようとしていたところで、聞かなくてもわかる格好をしている。
「天気もいいし、ちょっとそこの川でな。お前もどうだ? のんびり過ごすにはオススメだぜ」
「あの川ァ? あそこ魚いるかァ?」
「さぁな、ザリガニの一匹でもいりゃいいほうかもしれない」
「まーせいぜい頑張れや」
誘いには乗ってこず、ポンポンと肩を二度叩かれラガッツォは去っていった。
こんな会話も別に珍しくない。釣りには何度か誘ったが、ついてくる日もあればこない日もある。気分次第でその返答が変わることは、いつもと何も変わらない。
なのに、何かが違う。それがひかかって疑念を生む。
未だその違和感の正体を掴めずにいる。