Trick or Trick?

その日は朝からどこもかしこもソワソワとした雰囲気で、いつもより少し……大分賑やかだった。

「なん、だァ?」

少し寝坊した朝。ラガッツォはのんびりとした時間に自室を出ると、艇内の廊下をパタパタと走る小さな子がやけに目につきながら、ふあ、と大きな欠伸をしながら食堂へと向かった。
朝食というには遅く、けれども昼食というにはまだ早い時間。いつもの食堂の様子とはまるで変わり、カボチャやゴーストなどの飾りつけがあちこちに施され、テーブル席にも沢山の菓子類が並べられている。
よくよくと周りを見れば、大人も子どもも種族も性別も関係なく、いつもとは違う装いをしているものが多い。

「?」

それらを横目に見ながらキッチンスペースに向かい、パンやベーコンの乗った皿とスープを受け取り、隅の方の空いた席へと腰を下ろす。
沢山あった菓子類は大人たちが用意したものだったようで、各々が篭や大きな袋にそれらを詰めて持ち出しては、子どもたちに配り歩いている。

「あぁ」

ハロウィーンか。どこかの国の祭りが、よくもまぁここまで広まったものだと考えながら、パンを千切り口へと運ぶ。
少し乾燥したそれをスープと共に胃に流しながら、今日の予定を頭の中で確認していた。
特に何か急ぎの用事があるわけではなかったが、そういえばフィオリトが昼前から街に出るから付き合うように言っていたことを思い出していると、食堂の入り口から思い出していた人物の声が耳に届く。

「あー! こんなところにいた! てかまだご飯食べてるし!」

つかつかとテーブルに近づいてくるフィオリトをちらりと確認し、ナイフで切ったベーコンをあむと口に入れた。
塩気のあるベーコンは、噛みしめればじゅわりと脂身が舌に広がるのをしっかりと感じ取れるくらいには温かい。寝坊したにも関わらず、適温を保ったまま準備を整えておいてくれるのはありがたいものだ。
もぐもぐときちんと噛み砕いてから飲み込み、わーわー騒ぎ立てるフィオリトに向かってやっと口を開いた。

「飯くらいゆっくり食わせろって」
「街に出るって言ってあったじゃん! フェザーとランドルも待たせてるんよ。そんなのんびりしてないで、ほら! パン全部口に入れてスープで流し込んで!」
「あいつらもいんのか?」
「ハロウィーンだもん。せっかくだから街に出ようって話になったんよ。子どもたちのためのお菓子もちゃんと用意してあるから、ラガッツォはそのままくるだけいいんだってば」

フィオリトも仮装こそしていないものの、フェイスペイントで目元にコウモリが描かれている。
自分もそのトンチキなことをしなければならないのかと一瞬頭を過ったが、くるだけと言われた事を思い出し口の中の食べ物をごくりと喉に通す。全て皿の上を食べ終えると、フィオリトがトレイごと奪いさっさと片付けられてしまった。

「ほら、早く!」

その足で食堂を後にし甲板へ向かうと、そこには仮装したフェザーとランドルが待ち構えていた。思わずうわ……と声が漏れる。

「なんだお前らそのふざけた恰好……」
「なんだも何もハロウィーンだからな! ラガッツォは仮装しないのか?」

答えたフェザーは、頭にネコらしき髑髏のお面、腰や膝にはランプが仕込まれたような目つきの悪い装飾がついており、同じく膝から大きなネジのようなものも飛び出している。ぱっと見なんなのかはわからないが、フランケンシュタインのようなものなのだろうか。

「しねェよ、そもそもさっき思い出したわ」
「じゃあラガッツォの衣装も今日街の中で探すか? 色々売られてるものもあるしな」

変わるようにして答えたランドルも、いつものポニーテールをハーフアップに下ろし、大きなつけ耳と何かの動物の手足を模した手袋、鼻には縫い痕のようなペイントが施され、首輪までつけた狼男のようだ。

「いらねェよ! 行くならさっさと行くぞ」

こんな浮かれたやつらと並び歩いては自分が一人浮く方だと思いながらも、さっさと街に出て楽しめば満足するだろうと、二人の足元に置かれていた篭を持ち上げる。
ハロウィーンというものを、ラガッツォは実際に経験したことはない。けれどもナビスにいる間に仕事で出向いた先が、日程的にハロウィーンの祭りを開催していた、ということは何度か経験があった。参加する意味もなかったので、そんな時期なのかという程度の認識ではあったが、まさか自分がその渦中に乗り出すとは人生何があるかわからない。
艇を降り街の中心へと進めば、そこもまた大きな祭りとして街中をあげて賑わっていた。

◇ ◇ ◇

収穫の祭りなのか、はたまた死者が蘇るとされた日なのか。それらの認識もどこか曖昧なまま、その街ではあちこちで出店が出店し、合言葉と称して文言を伝えれば菓子が手渡される。大人も子どもも関係なく、街中の人々は笑顔で普段とは違う装いを身に纏う者も多くいた。子どもたちは両手いっぱいに菓子を抱え込んでもなお、次に菓子を強請る先を探している。

「トリックオアトリート!」
「はーい、ハッピーハロウィーン! 食べ過ぎちゃだめだぞ!」
「うん! お姉ちゃんありがとう!」

フィオリトはお菓子を渡しながら子どもたちを見送り、ラガッツォと同じくあまり経験したことはなかったであろうハロウィーンを楽しんでいるようだった。
篭の中身もだいぶ減り、陽は大分傾き辺りは薄暗くなってきている。街の中のあちこちにあるカボチャをくりぬいて作られたジャック・オー・ランタンには、火が灯され怪しげに目や口を光らせ辺りを照らしはじめていた。
出店でいくらか食べ物を買い込みつまみはしたが、散々歩きまわり各々空腹を感じ始めていた。配るだけではなく菓子を貰う側にもなってしまった(無差別に押し付けようとする大人が少なからず存在する)ために、いくつか手渡された菓子なども摘まんではいたが、それでも十代の食欲はその程度で満たされるものではない。
食べ物以外にも珍しい品々が並ぶ店や骨董・古本などを扱う店など、もはやハロウィーンとなんの関係もなさそうな店まで出店していたために、興味をそそられそこで長いこと時間を費やしてしまったのも余計に空腹の原因になっていた。

「腹空いたな。今日は外で食べていくか」
「そろそろ座って休みたいしね。さっきの通りに美味しそうなレストランあったんよ。そっちの方へ戻ろうか」
「うわっ」

今来た道へと踵を返すと、振り向いたラガッツォが何かとぶつかり声をあげた。それとほぼ同時に地面へと何かが落下し、ガシャンと音を立て割れる音がする。

「大丈夫ですか!?」

音に驚きながらフィオリトはすぐに現状を確認する。視線を落とせば、そこにはハーヴィンの男が尻もちをついて倒れていた。足元には原型はもうわからなくなってしまった、壊れた陶器の破片が散らばっている。

「悪い。怪我はないか?」

ランドルが問いかけながら手を差し出すと、その男は壊れた陶器を前にわなわなと震え声にならない声をあげている。

「あ……あぁ……なんてことだ……大変なことに……」
「大変なこと?」

呟く男に問えば、ランドルの問に答えることなくラガッツォを恐る恐る見上げた。

「君……何か異常はないか? 例えば……」

「にゃあ?」

ラガッツォが一声発した瞬間。バッと全員の視線がラガッツォに集まる。その声を発した張本人すら驚いたようで、む、と口を閉じ目を大きく見開いていた。

「あぁ、なんてことだ……こんなことになってしまうなんて……」
「にゃ……にゃあ゛!?」
「え、何? どういうこと? ラガッツォふざけてんの?」
「に゛ゃ゛あ゛あ゛」

何か答えようとするラガッツォの口からは、にゃあ、とネコの鳴き声のようなものしか発せられずにいる。それはふざけているようには見えないが、かといって先ほどまで普通に話していた仲間が急にそんな言葉しか発せられなくなるのは信じがたい。

「すまない……私がもっと丁重に扱っていればこんなことには……」
「おじさん、この壊れた陶器はなんだったんだ?」

フェザーがへたり込んだままの男性の前にしゃがみ込み聞いてみれば、それは骨董品を扱う店で見かけたとても古い魔具の一種だという。本来はネコに使うものであるようだが、あまりに古いものの為文献もそこまで多く残っておらず、詳しいことはこれから調べる予定だったということだ。
古い魔具の中にはこのような呪い染みたものも数多く存在しており、それらを研究している仕事をしているようだった。

「研究しているならラガッツォが喋れなくなった呪いも解き方わかるのか?」
「いや、これは本当に貴重なものでね。私も初めて手に入れたんだ。存在しているかどうかも怪しいくらい文献もほとんど残っていない。数少ない文献にも呪いの解除方法まで載っているものはまだ見たことがなくて……あぁ、本当になんてことを……。有能な魔法使いであれば今の時代でもその呪いを解除できるかもしれないが、私にそんな伝手は……」

そこまで言うと、その男はハッと何かを思い出したかのように顔をあげた。

「そうだ! この街には有名な魔法使いがいると聞いている。悪いがその人を訪ねてみてくれ」

ガシャガシャと割れた陶器をかき集め両手に抱え、その男はすくりと立ち上がる。

「魔法使いの名前はジェリー。ヒューマンの老婆だ。数百年生きてると噂されているから、ヒューマンですらないかもしれないがね。彼女ならきっとその呪いも解いてくれるに違いない。悪いが私はこの魔具を再生させなければならないから失礼する」
「え、ちょっと!」

ハーヴィンの男はそれだけ言い残すと、雑踏の中へと姿を眩ませてしまった。

「ラガッツォ、声以外に異変は? 気分が悪いとかはないか?」

首を横に振り、異変無しの意思を伝える。見た目にも何か変化はなさそうで、本当に声だけがネコに取って代わられたような呪いらしい。

「ジェリーだっけ。魔法使いのお婆さんの名前。街の人に聞いたら分かるのかな」
「数百年生きてるらしいなら、有名な魔法使いなんじゃないか? きっとすぐ見つかる。安心しろラガッツォ!」
「見つけて呪いといてから飯だな。聞き込みするか」
「に……」

にゃあ、と声が出そうになるのを寸でで止め、ラガッツォはイラっとした表情をしながらも大人しく首を縦に下ろす。その様子をみて、フィオリトは「調子狂う~!」と言いながら、周りの人々に聞き込みを始めた。
フィオリト、フェザー、ランドルが聞き込みを行う間、人間の言葉を喋る事が出来なくなったラガッツォは後ろをついて歩くことしかできない。むっすりとした顔で三人の菓子の篭も預かり、四つの篭を抱えている。
すぐに見つかるかと思った魔法使いの正体は十数人への聞き込みが終わったところで、これといった情報は得られていない。

「その人のことはわからないけど、裏通りにある古物店のシエラなら知ってるかもしれない。あのお店は怪しい物を沢山置いているから、魔法使いのお客さんの一人や二人いてもおかしくはないからね」

唯一得られた情報は、妙齢のドラフ女性から得たこれ一つだ。

「とりあえず行ってみるか。そこで何も情報なければまた聞き込みすればいいしな」

何の手掛かりもないよりはいいかと、言われたとおり裏通りにある古物店へと向かった。今日は裏通りもそれなりに人通りがあるものの、その店は裏通りをさらに一本小道に入ったひっそりとした場所にポツンと現れた。
そこは人通りもほとんどなく、それでもハロウィーンということでなのか普段からあるのかはわからないが、怪しげなランタンが赤くぼやぼやとした灯りで看板を照らしている。
中を覗けば一応営業中なのか、店内も薄暗いながらに灯りはついていた。店内に足を踏み入れると、外よりひんやりと感じる。
古ぼけた絵画や、用途のわからない木の枝、一見ゴミかと見間違うような布切れがあるかと思えば、その並びにキラキラと輝く見慣れない石などが雑多に置かれている。

「すみませーん」

フィオリトが姿の見えない店主に声をかけると、乱雑に積まれた本の山の奥に影が動く。そこを覗けば、小さな丸いメガネをかけた小柄な老婆が一人椅子に座っていた。

「子どもたちがこんなとこに来たって菓子はないよ。大通りに店が沢山あっただろう、そっちに戻りな」
「あ、いえ、違うんです。私たち人を探していて、シエラさんならご存じかも知れないからと聞いて尋ねてきたんです」
「シエラは私だけど? なんだね」

シエラは面倒くさげにため息をつきながら、メガネを机の上に置く。

「魔法使いのジェリーさんという方がどこにいるのかご存じないですか? 仲間が呪われた魔具? で、声がちょっとおかしなことになってしまって、その方に助けて貰えないかと今探しているんです」
「ジェリーだぁ?」

その名を聞いたとたん、シエラはあからさまに不機嫌そうな声ではぁ、と大きなため息をついた。
それからフィオリトのことを頭の天辺から足の先までじろりと目を這わせ、次に後ろにいたフェザーとランドルを見やる。

「あのクソババアのところに行きたいって? 行ったって協力なんてしちゃくれないよ。あいつは意地が悪いんだ」

その言葉に、ジェリーという魔法使いは本当に存在しているという確証は得た。ラガッツォにかかった呪いを解くのに最短ルートであるのは多分その人しかない。なんとしてもその人にたどり着かなければならなかった。

「でもその人なら仲間を助けてくれるんじゃないかって……その人を頼るしかなくて……どこにいるのか教えて頂けませんか?」
「……呪われたってのはどいつなんだい」
「あ、えっと……」

フィオリトが振り向くと、フェザーとランドルの後ろからひょこりとラガッツォが顔を覗かせる。

「にゃあ」
「彼、なんですけど……ネコの鳴き声でしか喋れなくなってしまって……」

先ほどと同じように、シエラはラガッツォの頭の天辺から足の先までを視線で舐めた。ぞくりとするその視線に、場は一瞬しんと静まり返る。

「……目つきの悪い男だね。まったく面倒くさいったらありゃしない。1ルピにもならないってのに……」

シエラはぶつぶつと呟きながら、後ろに置かれた棚から手元にあった木箱へひょいひょいといくつかの商品らしきものを投げ込み始めた。それから一枚の地図を引っ張りだし、転がっていたガラスペンをインクボトルに浸すと、がりがりと印をつけていく。

「ここが、この店だ。ここが大通り。今日は人が多いからね、こっちの小道を通ったらいい。そっちの方が近道だ。それでここがクソババアジェリーの家だ。森の奥に入れば一本道だから迷うことはないけど、こんな時間だからね、魔物が出る。行くなら明日にしな。それなら大通りを抜けた方がわかりやすい」
「あ、ありがとうございます!」

口は悪いが、親切に街中から森へ抜ける道を地図に書き示してくれた。その紙を手元に置いた木箱にぶっきらぼうに乗せ、ぐいとフィオリトの方へと押しやる。

「タダで教えてやる義理はないよ。これはジェリーが取り寄せたまま取りに来てないガラクタどもだ。これくらい運んで行きな」
「はい! 持っていきます! ありがとうシエラさん」
「うるさいね、用が済んだならさっさと出ていきな。商売の邪魔だよ」

シエラはそういうと再びメガネをかけ、積み上げられた本の中から一冊を手に取り読み始めてしまった。
店の中の何か一つでも買えればよかったが、価値のわからないものを買ってもきっとシエラは怒るだろう。手元にあるのは先ほどまで子どもたちに配っていた菓子だけだったが、それを2つ篭から取り出しそっと机に置いた。

「ハッピーハロウィーン! シエラさんもいい夜を!」

◇ ◇ ◇

「ちょっと怖かったけど、いい人だったねシエラさん」

受け取った木箱をランドルに渡し、フィオリトはその木箱から地図を抜き出した。

「魔法使いのこと意地が悪いって言ってたけど、突然訪ねていいのか?」
「でも見つかりそうでよかったな! ラガッツォ!」
「んなぁ」

呪いを受けている張本人にも関わらず、自分で動けることが少ないラガッツォは会話にすらまともに入ることもできない。適当にする返事も、変わらずネコの鳴き声が口からこぼれるだけで、その真意はいまいち伝わりづらいままだ。

「ラガッツォから憎まれ口が返ってこないの気持ち悪すぎるんよ。早く魔法使いにお願いして解いて貰おう」

地図に書き込まれた印をヒントに、四人は賑わう大通りの喧騒に背を向けた。店を出て更に小道を進み、静かな住宅地の中を抜けていく。そこは確かに閑静な場所で人通りもほとんどないが、地元の人間でなければ進める場所ではない。しばらく歩けばだんだんと民家は減っていき、森の入り口へと辿り着いた。
陽は落ち辺りはすっかり暗く、森の中へ続く道は数メートル先が闇の中でしかない。
その辺に落ちていた枝に、乾燥しているマツの木や枝葉をツルでぐるぐると巻き付け、ラガッツォがそれに火をつける。簡易的な松明を作り、森の中へと進んだ。
魔物が出ると言われていたが特にそれらしき気配はない。ざあぁと風が吹き木々が揺れれば多少鳥の鳴き声が聞こえる程度で、そこまで警戒して進まなくても問題はなさそうな森だった。
森の入り口からはひたすら一本道が続いている。人の歩いた痕跡があるのはその道だけなので迷いようもないが、どんどんと森は深くなっていく。
すっかり街の明かりも見えなくなったころ、森の更に奥の方が明るくなっているのが確認できた。

「あそこかな?」
「あぁ、多分そうだろうな。それにしても随分と街から離れてるんだな」
「うおおおおお! そうとなれば善は急げだ!」
「あ、ちょっと! フェザー危ないって!」

その灯りを確認するなり、フェザーは松明片手に走り出す。それを追いかけるようにフィオリトも走って行ってしまい、ランドルとラガッツォは変わらぬ歩幅で歩みを進めていた。

「にゃ」
「おーなんだ」
「にゃあぁ」
「はは、わっかんねぇな。腹減ったか? 俺もだ」

ラガッツォはそんな事は言っていなかったが、やはりこれでは意思の疎通は無理そうだと一つ息を吐いた。
そんな事をしている間にも、森の奥に見えた灯りのある場所へと辿り着く。そこは少し開けた場所に、小さな家が突然現れた。
家の中には明かりが灯っており、動く人影も確認できる。先に到着していた二人はといえば、フェザーがフィオリトに叱られて足を止めていた。

「ラガッツォがいないのに突っ込んでもしょうがないんよ。気持ちはわかるけど」
「はははっ、悪いな。気が焦った。ランドルとラガッツォも丁度着いたし、魔法使いは家の中にいるらしい。早速助けを願おう」

ほんとにわかってる!? とフィオリトはあきれ顔だが、入り口に向かおうとすると足元をするりと何かがすり抜けた。

「きゃあ!」

思わず悲鳴をあげたフィオリトが両手で自分の口を押える。魔物でも出たのかと何かがすり抜けていった方向へ松明を向ければ、一匹の黒猫が扉の前で振り返ってこちらを見ていた。

「ニャー」
「え、ネコ?」

その黒猫はタッと窓へ飛びのると、少し空いた隙間からするりと家の中に入っていく。家の中からは、おかえりなさい、ご苦労様ねと女性の声が聞こえてきた。
するとすぐに扉が開かれ、中から一人の女性が姿を現す。

「いらっしゃい。待っていたわよ」
「え?」
「冷えたでしょう? さぁ中へどうぞ」

ふっとその女性が手を軽く振ると、持っていた松明の灯はしゅるりと消えてしまう。彼女がジェリーなのだろうか? 数百年生きているらしい魔法使いとは思えない、はっきりとは確認出来ていないもののクソババアと呼ばれるような年齢には見えないしゃっきりとした女性だった。
四人は何を言われているのかあまり理解もできず、警戒しながら招き入れられた家の中へと足を踏み入れる。
中はいたって普通の一軒家のようで、通された部屋は暖炉のある暖かいリビングルームになっていた。そこに先ほどフィオリトの足元駆け抜けたであろう黒猫が、暖炉の前でごろりと転がりぬくぬくと温まっている。

「そんなところに突っ立ってないで、どうぞ座って? お腹空いているかしら、スープがあるの。少し待ってて」
「あ、あの!」
「なぁに? あ、お肉のがよかったかしら?」
「いや、そうじゃなくてですね……」

一人楽し気に喋る女性を静止させ、そもそも魔法使いのジェリーであるのかどうかを確認しなければならなかった。それ以前に自分たちがここに来ることを知っていたような口ぶりも先ほどからずっと引っかかっている。

「なぁ、魔法使いのジェリーってアンタか?」

単刀直入にフェザーが問うと、その女性はまぁと少し驚いたように口を開け、にっこりと口元を綻ばせる。

「ふふふ、ごめんなさいね。久しぶりのお客様で私ったらはしゃいでしまって、自己紹介もしないで……。シエラからどうやって聞かされてるかはわからないけれど、私がジェリーよ。魔法使い……でいいと思うわ」
「そうか。なんでオレたちが来ることがわかったんだ?」
「魔法使いだから? かしらね」

ジェリーはふふふ、と濁しまた上品に笑う。今のところは危害を加えられそうな素振りは見えず、四人はほんの少しだけ警戒を解いた。
暖炉にかけられている大鍋はふつふつと温まっており、ジェリーはスープ皿を持ってその大鍋に近づく。ほわりと湯気の上がるスープを大匙にたっぷりと掬いあげ、スープ皿へとよそった。

「これ、シエラさんから預かってきたものだ」
「あらあら、わざわざ運んでくれたの? 重かったでしょう、助かったわ。そこのサイドテーブルに置いてくださる?」

言われるままに木箱を置くと、ジェリーは再度四人にどうぞ座って? とテーブル席へと促した。長居するつもりはなかったが、ジェリーがそのまま返すつもりもないらしいことを察して各々椅子に腰を下ろす。
順にスープが運ばれ、きれいにテーブルセットされた場所へと食事の準備が進められた。中身はニンジンや玉ねぎやジャガイモ、それから鶏肉が入ったミルク色をしたシチューのように見える。

「やぁね、そんなに怪しいものじゃないわよ? ちゃんと街で買ったお野菜とお肉とミルクとチーズで作ったものだから、安心して頂戴。誰かとお食事をとれるのが久しぶりだから、沢山作ってしまったの。おかわりもあるから遠慮せずに食べていって頂戴」

終始ニコニコと準備を進め、自らの分もセットし終わるとジェリーも席へと腰を下ろす。

「お話があるのはわかっているわ。でもその代わりに少しだけ、晩餐に付き合って頂戴ね」

冷めないうちに頂きましょうと、ジェリーは先に口を付けて見せた。スプーンに乗せられたジャガイモとスープをぱくりと口に入れ、もぐもぐと咀嚼を繰り返すと数回ほどでごくりと喉の奥へと流し込む。

「お口に合うかわからないけれど、美味しくできたのよ? パンもあるから、一緒に召し上がって?」

それを見て、やっと四人もスプーンを手に取った。恐る恐るではあるが口をつければ、確かに普通の美味しいミルクシチューの味がする。
昼過ぎから街中を歩きまわり、その足でそのまま夜露で冷えた森を抜けて冷えた身体に、じんわりとその温かさが染みわたる。優しい味のミルクシチューは四人に空腹感を思い出させ、パクパクと口の中へ消えていく。
ジェリーはそんな四人を嬉しそうに眺めながら、小さな晩餐会は続くのだった。

食事をとりながら、街であったことをジェリーに話した。人の言葉を喋れなくなったラガッツォのことを話しても、ジェリーは特に驚いた様子もない。
フェザーとランドルはミルクシチューをおかわりし腹もだいぶ膨れたところで、かぼちゃのプディングもあるのよ、食べる? とジェリーは大皿に作られたパンプキンプディングを運んできた。小皿に掬いわけ、それも頂きながら話を進める。

「それで、その呪い? をあなたなら解けるんじゃないかって」
「その魔具には聞き覚えがあるけれど、念のため少し見させて下さる?」

そういってジェリーはラガッツォに近づき、すっすっと身体に手をかざす。それはほんの数秒で終わり、ジェリーは、うん、と一つ頷いた。

「呪い……というのは大袈裟ね。子ども騙しみたいなものよ。今日はハロウィーンだものね、いたずらされちゃったのかしら。少し待っていて頂戴」

先ほどシエラの店から運んできた木箱の中を漁り、小さな小箱を取り出した。麻紐で括られ閉じられた白い箱は、手のひらの大きさほどしかない。その上でパチンと指を弾くと、キラキラと何かが瞬き箱に降りかかって消えてしまった。

「はい、どうぞ。お家に帰ったら食べて頂戴ね。多分眠くなってしまうから、眠ってしまっても問題ないところでね」

小箱はラガッツォに差し出され、大人しくそれを受け取る。
家で(ラガッツォの場合騎空艇の自室で)となると、本当に声が戻るかどうかはその時にならなければわからない。どうしようかと迷ったのはフィオリトだけのようで、三人はプディングも平らげると席を立つ。

「え!」
「なんだ」
「どうしたフィオリト」
「え、だってそれで戻るか分からないし……」

フィオリトの不安をよそに、男三人はそれになんの疑いも持っていない様子だった。美味しい食事とデザートまで頂いて、すっかりジェリーを信じ切っていた。フィオリトも疑っているわけではないものの、その小箱の中身を食べたところでラガッツォの声が戻る保証はどこにもない。それでも三人はもう帰るつもりのようだった。確かにもうだいぶ夜も更けてきている。ここからまた森を抜け街へ戻り、街から騎空艇が止めてある場所までの距離を考えたらそろそろここを後にしなければならないのは明白だった。

「心配にもなるわよね、初対面だもの当然よ。でも安心して。もしそれを食べても声が戻らなかったら、また明日ここにくればいいわ。私はいつでもここにいるから」

何も安心出来る要素はなかったが、艇に戻ってもし声が戻らなくても、艇には魔術の秀でた者や医者もいる。明日になれば仲間に頼る事も不可能ではない。フィオリトは無理矢理納得し、ようやく席を立った。

「もう夜も遅いし、街まで送ってあげるわね。忘れ物はないかしら」
「一本道だったし大丈夫だ。オレたちだけで帰れるぞ」
「遠慮しないで。子どもたちだけで森を抜けさせたなんてシエラに知れたら、私がまた怒られちゃうわ」

ふふふとジェリーは笑うと、扉へ向かう四人の後ろに立った。

「今日は遊びに来てくれてありがとう。久しぶりに本当に楽しい時間だったわ。何もなくてもまたいつでも遊びに来て頂戴ね」
「いえ、こちらこそ急に訪ねて夕食まで頂いちゃってすみません。美味しかったです」
「おう! ありがとうな! 次はシエラの婆さんも連れてくる!」
「ふふ、シエラは来たがらないと思うから。また四人でぜひ遊びに来てね」

ふっとジェリーが腕を上げると、ころころと足元にまとわりついていた黒猫がその腕にたたっとよじ登った。

「まったく、こんないたずらをしたのは、どこの悪い子猫ちゃんなのかしらね?」

ジェリーが黒猫の喉を優しく撫でると、黒猫はニャーと一声鳴き、扉がパチパチと煌めきぐにゃりと歪む。次の瞬間バコンと音を立てて扉が開くと、四人はぎゅいと吸い込まれ気付けばシエラの店の前に立っていた。

「……え? なになになに? こわいこわいこわい!」
「すげー! これが魔法なのか!?」
「一瞬でここに戻れるのか。転移なんてさせられたのはさすがに初めてだな」
「……」

魔術の類を扱うものは仲間にも多く存在しているが、実際に体感することはそれほど多くはない。身に起きたことに興奮しながら、四人は騎空艇へと帰っていった。

◇ ◇ ◇

グランサイファーへたどり着くと、夜もだいぶ更けていたが食堂ではまだハロウィーンパーティが開かれていた。
そこへ向かう予定だったクピタンとティコに出くわし、今しがた体験したことを興奮気味で話聞かせた。

「本当に声以外に不調なところはない? 呪いは医療で治せるものではないけど、緩和くらいならできるかもしれない。もし不調があるなら夜間でも診療所に来たらいいし」

その申し出に、ラガッツォはこくりと大人しく頷く。

「じゃあもうお部屋戻っちゃう? その中身食べないとなんだもんね」

クピタンはみんなでハロウィーンパーティに参加したいようだったが、ラガッツォは首を横に振り自室へ帰る意思を伝えた。いつも寝る前までの身の回りの世話を焼くランドルもそちらへ向かうつもりのようで、フェザーとフィオリトはそのパーティに少し顔を出していくこととなった。

「お大事に」
「おやすみなさぁい」

四人と廊下で別れ、ラガッツォの自室のある階層へ階段を降りていく。いつもならもう寝てしまっているであろう子どももチラホラ艇内ですれ違い、こんな日くらいにしか許されない夜更かしを楽しんでいるようだった。

「先風呂入るか?」
「にゃあ」
「でもそれ食べたら眠くなるんだろ? 先にすませなくていいのか?」
「にゃああ」
「いいならいいけどよ」

にゃあという声でしか返事ができないものの、声色や表情で何となくの意思を察せるようになっていたが、それでも何をしてほしいか細かい要望を聞きとるのは不可能だ。
不便この上ないこの呪いが、一刻も早く解けることを願いながら、ランドルはラガッツォの部屋のドアを開けた。

部屋に入るとラガッツォはどかりとベッドへ腰を下ろす、結果的にほぼ一日中歩きまわったのだから、疲労は相当なものだ。ランドルは向かい合うように椅子をその前に引き寄せ、同じように腰を下ろす。
座り込めば、確かな疲労感が二人を襲う。艇に帰るまではやはりどことなく緊張していたのだろう。一度座り込んでしまったら、立ち上がるのも面倒くさい。やはり先に風呂場へ連れていくべきだったかと思いながら、ランドルはラガッツォの方へと顔を向けた。

「その箱、中身なんなんだ?」

手渡される前も受け取った後も、そういえば中身の確認を一度もしていない。シエラの店から運んできた木箱の中にあったそれを、中身の確認もせず食べ物だと言って渡された。木箱の中身を全て見たわけではないが、ずっと持ち運んでいたランドルが見る限りでは似たような箱は見当たらなかった。なのでそれを食べ物という認識で頼んでいたのであれば、食べ物なことは確かなのだろうが、今更魔法使いが与える食べ物とはと不安が過る。
ラガッツォは麻紐をしゅるりと解き、くるくると箱に巻き付くそれをほどいていく。上下に別れたその箱の上部を引きあげれば、中にはころりと丸い褐色をした艶やかなものがいくつも入っていた。

「……チョコレート?」

覗き込んで確認すると、一見それは何の変哲もないチョコレートのように見える。パッと見た限りでは10粒ないほどだろうか。
見た感じ手作りのようには見えないが、箱に店の情報となるようなものもない。チョコレートと思われるそれのデザインも、街中の少しこじゃれたお菓子屋さんに売っているようなものと同等に見える。
ラガッツォはその箱に鼻を近づけクンと嗅いでみたが、ほんのりと甘い香りが漂ってくるだけだった。そこから一粒摘まみ上げ、自らの口の中へと放り込む。
慎重にコロリと咥内で転がせば、体温で溶けだすその味は確かにチョコレートだった。

「大丈夫か? 変な味とかしたらすぐ出せよ」

少し不安げにランドルはその様子を見守っている。ラガッツォは左右に首を振りながら、義手の指で丸を作って見せた。
ころろと更に咥内に転がして、味の変化がないかを確認するが、広がっていくのは甘めのミルクチョコレートのようだった。

「普通のチョコレートなのか?」

こくこくと頷き、溶けて少しずつ小さくなっていくチョコレートに歯を立てると、薄くなった表面はすぐに砕け、とろりと何かが溢れだした。それはチョコレートとまじりあい、喉と鼻の奥にぐわりと一気に芳醇な香りと熱くなるような刺激が広がった。
ウィスキーボンボンだ。
思わずラガッツォは目を見開くと、ランドルも同じように目を見開く。

「変なもの入ってたなら一回だせ。ここに出していいから」

ラガッツォの変化にランドルは少し焦りながら、自らの両手を器のようにして差し出した。もぐもぐと何度か噛みしめ、ラガッツォはにぃと口角をあげると、ランドルの胸倉を掴む。

「うわっ」

掴んだ胸倉をぐいと引き寄せ、勢いのまま唇を合わせた。その腕力に引っ張られ、ランドルは腰を浮かせてラガッツォを押し倒すような形でベッドへと雪崩れ込んでしまった。
全てが不意打ちの中、ランドルの咥内へぬろりとラガッツォの長い舌が入り込む。甘くむせかえるようなチョコレートの香りと味、そしてカッと熱くなる刺激を感じとる。
すぐさまランドルは身体を離すと、ラガッツォは溶けたチョコレートが付いたままの舌を覗かせながら、いたずらっこのような顔で見上げていた。

「あーあ」
「お前なにするん……え? 喋れてる?」
「うまいこと騙されてくれてどーもォ」
「騙される!?」
「そーだよ。お前もフェザーもフィオリトも。みんなこんな上手に騙されてくれるとはな、傑作だったぜ」

べろりと唇についたチョコを舐めとりながら、ラガッツォは楽しそうにけらけらと笑う。ランドルは何がどういつ騙されたというのかもわからず、組み敷いたその男が笑う顔を目を瞬かせて見下ろした。

「どういうことだ?」
「いや分かれよ。ハロウィンのいたずらだって言ってんだよ」
「は!? どこから!?」
「だァから最初から! ぶつかってきたハーヴィンのおっさんも、古物店のシエラも、森の奥に住んでるジェリーも全部だよ! ナビスん時の伝手でな、シエラとジェリーは俺が個人的に抱えてた郵便屋(メッセンジャー)だ。俺はもうナビスを抜けたけど、今日街中の出店で古本出してたとこあっただろ。あそこでたまたまジェリーの使い魔の黒猫を見かけて、言伝を乗せたんだ。本当に動いてくれるかはわからなかったけどな。そしたらあのハーヴィンのおっさんがぶつかってきて、そこから俺の仕込んだいたずらが始まったってわけよ」

そんな前から始まっていたのかと、ランドルは全く気付かなかった自分に茫然としてしまう。

「声は!?」
「んなもん演技だ演技。なんでバレねェのか不思議なくらいだったぜ。二度目だぞ? 学習しろ学習を」

喋ることができずネコの鳴き声になってしまうことさえも、ラガッツォの咄嗟の演技だったのだ。偶然見かけた使い魔に言伝を乗せたということならば、事前に綿密なプランを練ったものではなかったのだろう。おおまかに出した指示をその場で組み立てていったのならば、郵便屋(メッセンジャー)含め相当な演技者ばかりだ。

「仕込みが壮大になりすぎだろ。お前はなんだってそうすぐ……まぁでもよかった。なんでもないなら」

夕方から散々歩きまわり重たい荷物まで運ばされたが、結果としてラガッツォが呪われたわけでないというのなら、それが一番の安堵だった。演技で騙されるのは二回目だったが、まさか同じ手で二度も騙されるとは思っておらず、本当にすっかりしてやられてしまった。
安心すると身体は更に疲労感で重くなり、ぐだりとラガッツォに覆いかぶさる。

「なんでもあるだろ」
「あんのか!?」

不満げな声を出すラガッツォに驚き、がばりと腕立てのように体を引きはがす。自分で仕込んだことだとはいえ、魔法使いは確かに本物のようだった。もともとジェリーを郵便屋(メッセンジャー)として使っていたのなら、ナビスからの収入源を絶ってしまったようなものだ。恨まれていてもおかしくはない。ジェリーから貰ったチョコレートに、実は毒が盛られていたって不思議ではない。
ランドルはさっと顔色を変えたが、見る限りラガッツォに変わった様子は見当たらない。自分だってほんの少しではあるが食べさせられたが、ほんの少し刺激を感じた以外は普通のチョコレートだったように思う。

「お前さァ、意味わかってるか? せっかく俺がここまで準備してやってるってのによォ」

胸倉を掴んだ反対側の手の中にある箱にはまだチョコレートがいくつも残っている。それをつまみ、ランドルの唇へと押し付けた。

「おら、口あけろ」

ランドルは一瞬迷い、唇に押し当てられたチョコレートから少しばかり距離を取る。どこまで何を信用していいのかもわからなければ、そのチョコレートもいつもと少し違った刺激を感じたのは確かだった。

「……本当に普通のチョコレートなんだろうな」
「さっき味見させたろ」
「……なんか、カッとなっただろ」
「……あぁ。なんだお前初めてか。ま、口あけろや」

ランドルは更に迷ったが、こんなものなんでもないと言いたげなラガッツォの口調に観念したのか、ぱか、と口を開けた。くいとそのチョコレートを押し込まれ唇を閉じると、自らの咥内の熱でチョコレートはとろりと溶けて広がっていく。舌でころりと左右に転がせば溶けたチョコレートはねっとりと絡まり、普段あまり口にしないほどの甘さとほろ苦さ、そして丁寧に作られたであろうカカオが薫り高く鼻を抜ける。
くちゅりと舌で押しつぶせば思っていたよりそれは固くはなく、チョコレートの層の奥からじゅわりと何かが広がった。

「っ!」

先ほども感じた、ツンとしたむせかえるような刺激と喉奥を焼くような熱さ。そして口から頭の中にまで広がるような、芳醇な香りがぶわりと一気に襲い掛かる。
それを噛みしめ溶けたミルクチョコレートと混ぜ合わせれば、程よく緩和された。喉の奥へと流れていくと、食道を渡り胃袋までをカッとした熱が広がっていく。

「ウィスキーだとよ」
「酒入ってんのか!?」
「入ってるっていってもその程度だ、大した量じゃねぇよ」
「初めて飲んだ……」
「真面目かよ。菓子に含まれる酒はガキが摂取しても合法だ合法。飲んだって言えるもんでもねェ」
「喉あちぃ」
「おー酔っぱらえ酔っぱらえ」

ケホと少しむせるランドルを見ながら、ラガッツォはけらけらと楽しそうに笑い、自分の口にももう一つチョコレートを放り込む。

「んで、酔ったせいにしとけ」

舌の上で溶け始めたそれをべろりと見せ、箱を手放した両腕でランドルの顔を引き寄せる。再び合わさった唇の間からぬろりと咥内に入り込むそれは、淫靡な空気へと誘っていく。

「ハロウィーンなんだろ? 俺はもういたずらしたぞ」
「そう言うんじゃねぇから、ハロウィーンは……」
「あー? そうだったかァ?」
「くっそ、あちぃな……」
「ふは、俺もォ」

初めてのウィスキーはほんの少量でも少年たちの身体を熱くする。呼気は熱を持ち、胸がしまるような感覚だ。腹の中では何かが燃えているようで、心臓はドッドッと大きな音を立てて胸に打ち付けてくる。頭はどこかふわふわとして考えはまとまらない。

「おら、どうすんだよ狼男さんはよォ」

ランドルの首に腕を回し、いたずらっ子はにやにやと笑う。もう答えなんてわかりきっているくせに、のってこいと言わんばかりの顔で見上げていた。

「トリックに決まってんだろ。ふざけんなよお前!」

うっはっはとラガッツォは楽しそうに笑いながら、自らに覆いかぶさってきたランドルを受け止める。
狼の耳を付けた男に首元をかぶりと噛みつかれ、それでもなお楽しそうに声をあげて笑うのだった。