ぐう。
「……」
「……」
きゅるる、と追加でもう一鳴きしたのは、ラガッツォの腹の虫。
ランドルと二人ベッドの上でダラダラとした、寝るまでの間の時間を過ごしていたときのこと。
風呂を済ませ髪を下ろし、二人ともラフな部屋着でくつろいでいた。
夕飯を食べ終えてから数時間が経ったものの、そこまで夜が深くなったわけではない。量だって充分に足りていた。
特に会話をすることなくベッドの上で各々が自由に過ごしていたランドルとラガッツォの間できゅる、と更にラガッツォの腹の虫は主張をしている。
「腹ぁ減ったな」
ランドルが思ったままを口にすれば、なんの疑問も持たないといった声で、そうだな、と返事が戻ってきた。
「昼間に見た店の菓子、やっぱり買っておくんだった」
艇での夕飯が足りないということはないが、ここ最近やたらと腹がすく。
育ち盛りと言えばその通りで、間食代わりに街中で買い食いするものはしっかりと一食分あるサンドイッチやハンバーガー、時には山盛りご飯が添えられたがっつりとした定食メニューのときすらある。
たまに自分で買っておいた常温で日持ちする菓子やパンなどを、夕食後小腹が空いたときに食べる日もあるくらいなのに、今日はそれらを全て切らしていた。
「あー、うまそうだったな。あれ」
薄くスライスしたポテトを油であげたチップスに、店独自で調合したスパイスを塗したものだと店主に説明された。
チップス自体は珍しいものではないが、味付けは店舗により様々だ。
店から薫るスパイスは、実に食欲をそそるものだったと思い出す。
「食うもんねェか」
「ねぇよ。ここお前の部屋だろ」
「あー……」
ラガッツォは読んでいた本をぱたりと閉じると、ベッドからすくりと立ち上がった。
「仕方ねェ、なんか食い行くか」
「おー、行くか」
こんな時、夜遅くに大人たちが集まる場所がある。
酒が提供される場所ではあるが、未成年が立ち入りを禁止されているわけではない。
行けば何かを食べさせてくれるだろうと、艇内にあるバーへと向かった。
「……あいてねェ」
「あー……そういや、ファスティバ今日いないって言ってたな」
「早く言えよお前」
この場所ならばと向かったファスティバが開く店、ラードゥガの扉の前にはCLOSEDの札がかけられていた。
ぐきゅう、と寂し気にラガッツォの腹の虫は鳴く。
こうなると、この時間艇内で何か食べ物を提供してくれる場所に心当たりはない。
わざわざこれから着替えて、街に出るのは面倒だ。
「しゃーねェ、食堂行くか」
「もう誰もいないだろ」
「いーんだよ。いなくても」
艇内の人の往来こそ少ないものの、まったく誰もいないわけではない。
何人かの団員たちとすれ違いながら食堂に辿り着くとそこは灯りはほとんど落とされ、小さな灯りだけがぽつぽつと間隔を開けて点灯している。
物の位置が分かる程度の明るさの食堂を抜け厨房に入り込むと、その場所だけ明るく火を灯す。
厨房の端のテーブルに置かれた大きな箱に「ご自由にお使いください」と書かれた紙が貼られ、その中には小麦粉や砂糖、卵、フルーツ、チョコレートやマシュマロ、ナッツなど、使いかけではあるもののまだ真新しい食材が入っている。
昼間やたらと食堂に人が集まってなにか作業をしていた名残だ。
「あぁ、バレンタインの」
「夕飯の時にここに入ってるモンは好きに使っていいって聞こえたからな」
バレンタイン直前ということもあり、手作りで準備をする団員たちの使った食材のおすそ分けは、これから作る団員たちも使えるようにとそのまま厨房の壁際にあるスペースに置いて行かれていた。
そこから少し夜食用に材料を頂戴するのだ。
「フルーツならそのまま食えるしな」
イチゴやバナナなど、洗うか皮を剥けばそのまま食べられる食材をランドルは物色していたが、隣でラガッツォは小麦粉と卵を手に取った。
「小麦粉?」
「おー、あったけェの食いたいし」
「何か作るのか?」
「たいしたモンでもねェよ。お前も食うなら手伝え。冷蔵庫からミルク取ってこい」
小麦粉、卵、砂糖を箱から取り出し調理台に置くと、ボウルと泡だて器、大匙なども一緒に並べた。
冷蔵庫から取り出されてミルクの入った大瓶もそこに並べて置かれる。
たった四つの材料から、何ができるというのか。ランドルはラガッツォの正面側に立ち、その動向を見守った。
卵を手に取り、ラガッツォは恐る恐るそれを調理台の角へとぶつける。
義手になってから初めてするその作業は、力加減がわからない。
指先までまるで自分の本物の手指かのように動くとは言っても、初めての作業はそれなりに神経を使う。
ぴき、とひびが入った場所へと爪先を少しだけ食い込ませると、パカリと半分に開くことができた。
黄身を器用に殻の上で動かしながら、卵白だけをボウルの中に落としていく。
「へぇ、器用だな」
「やるか?」
「いや、俺卵握り潰しそうで怖い」
「そのレベルかよ」
作業を眺めていたランドルは、もう一つのボウルに黄身が分けられるのを見ながら、何故分けているのかもわからずきょろきょろと二つのボウルを見比べている。
「その黄身に、そこに置いてある丸いスプーンあるだろ。それで摺り切り四杯の小麦粉と一杯くらいミルク入れて、スプーンの背中側で軽く混ぜておいてくれ」
すりきり? と思いながら、ランドルは言われたとおりに小麦粉と丸い見慣れないスプーンを手に取った。
その間にラガッツォはもう一つの卵も同じように分けると、黄身の入ったボウルをランドルの前に置く。
小麦粉の袋にスプーンをつっこみ、山盛りいっぱいを取り出したランドルは、零さないようにぷるぷると震えながらそっとボウルの上までそのスプーンを移動させた。
「待て待て待て! 摺り切りって言っただろうが。それは山盛りだ」
「すりきりってなんだよ」
「摺り切りってのは、その飛び出た山盛り分は落とした状態だ。そこにもう一本同じ丸いスプーンあるだろ? その持ち手のまっすぐな部分で山になってる部分は袋の中にそぎ落とす。それでスプーンに残ってる部分を四杯だ。ボウルに入れておいてくれ」
ランドルは再びぷるぷると小刻みに震えながら山盛りの小麦粉が乗ったスプーンを袋の上まで移動させる。
スプーンからはみ出た部分を綺麗にそぎ落とすと、言われたとおりに摺り切り一杯の小麦粉を残すことができた。
こうか? と目線をラガッツォに送れば、うんうんと頷いている。
同じ動作を三回繰り返し、四杯の小麦粉と小さなスプーンの中にそっと注ぎ入れたミルクを一杯、二つの卵黄が入っているボウルに落とす。
その様子を見届けたラガッツォは、卵白を泡だて器でシャカシャカと泡立てていく。
ボウルの中で卵白はみるみるうちに白く膨らみ、丸いスプーンにざっくりと一杯分の砂糖を入れると再び混ぜ始める。
卵黄を言われたとおりに混ぜながら、ランドルはラガッツォのやけに手慣れた様子に感心したような声をあげた。
「すごいな。どこで覚えたんだ?」
「あー……」
朝飯何食べた? くらいの軽い口調での問いのつもりだったが、ラガッツォは少し迷ったように口ごもる。
「?」
考えたのはほんの束の間で、特にいつもとは変わらぬトーンで言葉を続けた。
「聞いて楽しい話でもねェけどよ」
今作っているのはパンケーキで、ラガッツォが母親と一緒に作った記憶のあるものだという。
ラガッツォの中にある一番古い、母親が唯一笑顔の思い出でもある。
幼いころ、おやつの時間に一緒に作って食べさせてくれた、所謂おふくろの味のひとつ。
ナビスに入ってから一人で何か食べなければならないときに、見よう見まねで作れた、ただ一つの食べ物だった。
そこから時がたち、料理の本を見て他にもいくつか作れるようになったけれど、少ない材料で作業工程もそれほど多くなく、それなりに腹を満たすことができるので、よく作っていたらしい。
ラガッツォの口から、直接両親との関係について聞いたことはない。
別に話したくないことならば無理矢理話す必要もないし、一緒にいるために特別知っておかなければならないわけでもないため、わざわざ聞くつもりもなかった。
けれども今きっかけがあったとはいえ、母親のことを話してくれたのは、ほんの少しでも心を開いてくれたからだろうか。
ランドルは丸いスプーンの背で卵黄を混ぜながら、静かにその言葉を聞いていた。
「ま、実際母親が作ったパンケーキの味なんて何も覚えてねェけどよ。各地で色々食べてきたパンケーキと比べてみても、それなりに肩並べるくらい腕を上げたつもりだぜ」
もう一杯少し山になった砂糖を泡立てた卵白に落とし、シャカシャカと音を立て更に泡立てていくと、艶やかなもったりとしたクリーム状に仕上がっていく。
ほんの数分で、どろっとしていた卵白はあっという間にふわふわと表情を変えた。
「パンケーキってあれだろ、丸くて薄いパンみたいなやつでフォークとナイフ使って食うやつ」
「一般的にはそうだな。薄くてそこまで厚みはないもんのが多い。でも今作ってるのはもう少し厚みが出る。だから卵白をこうやってメレンゲ状にして……ってお料理教室じゃねェんだよ。そっちのボウルよこせ」
照れたように言葉を濁したラガッツォを前に、分厚いパンケーキになるのかと、少し心を弾ませながら手元でずっと混ぜていた卵黄の入ったボウルを渡した。
小麦粉とミルクと混ざった卵黄は、それだけのものよりはどろりと粘度が増している。
そこに先ほどまでラガッツォが泡立てていたメレンゲを、木べらですくって1/3ほど卵黄の入っているボウルに落とした。
それを馴染むようにしっかりと混ぜ込み、更に1/3のメレンゲを落とす。
今度は先ほどよりも優しく馴染ませていき、ある程度混ざったところで残りもそこへ落とし、ボウルの底から混ぜていく。
「暇そうだな、深めのフライパン二つ温めておいてくれ。弱火でな」
「おー」
言われたとおりにフライパン二つを火にかけ、手際よく混ぜられているラガッツォの手元を再度見た。
先ほどまで卵、小麦粉、砂糖、ミルクだったものが、一つになり綺麗なクリーム色の生地に仕上がっている。
「魔法みたいだな」
「ロマンチストかよ」
ラガッツォは鼻で笑い飛ばしながら、ボウルの中の生地を少しまとめて木べらをとんとんとボウルの端で叩く。
「っし、焼くか」
冷蔵庫からバターを取り出し、適当な量をフライパンの中へと落とすと、じゅわぁ、と音を立てて溶けだし、ふわりと良い香りが広がった。
その香りは食欲をそそるには十分で、更に空腹感を煽る。
くるりと溶けたバターを滑らせ、フライパン全体に広げると、木べらで生地をすくってぽてりとそこへ落とした。
しゅわわと生地が焼ける音がして、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「すっげぇ腹減ってきた」
「あと少しだから待ってろ」
生地を半分ずつフライパンの中で二つの山に分けてこんもりと落としたあと、その隙間にほんの少しだけ水を入れ、蓋をする。
隠れた中身はしゅわしゅわと焼かれる音だけを鳴らし、その全貌は見えなくなってしまった。
蒸されて焼かれていくパンケーキは、確かに分厚い。
「それ、洗ってくれ。俺は皿用意するから」
言われるがまま、使ったボウルやスプーンを流し台に移し洗い物を始めると、蓋をされているにも関わらず香ばしく甘い香りはどんどんと強くなる。
昼間にも同じような匂いが充満していたことを思い出していた。
「バレンタイン、今年はどうすっかな」
「あ? お前も誰かにやんのか?」
「団長だよ。世話になってるからな」
「はァ? ほんっとここの団員祭りごと好きなのな」
ラガッツォがこの騎空団に入ってから初めてのバレンタイン。
ハロウィンやクリスマスでも驚いていたが、確かにここの団員たちは祭りごとほぼ全てにのっかって楽しんでいる。
それが当たり前の事すぎて忘れかけていたが、自分もすっかりこの騎空団に馴染んだものだ。
いずれラガッツォも同じように馴染んでいくであろうことは、容易に想像できる。
「ま、お前も何か用意しておくんだな。世話になってるんだし」
「マジかよ……」
呆れ顔をしながらラガッツォが蓋を開けると、ふんわりとした形はほとんどそのままに、けれども先ほどまでのクリームっぽさはなくなっているパンケーキの姿があった。
フライ返しでくるりとひっくり返すと、綺麗なきつね色になった焼き目が見える。
「うっわ、めちゃくちゃ美味そうじゃねーか」
「あと半面焼けたら出来上がりだ」
ポンと少し生地を押し込み、先ほどと同じくらいの水を垂らしまた蓋を閉じてしまった。
焼き時間は片面ほんの数分だが、水を垂らして蒸すことで全体に火が通っているようだった。
「バレンタイン、ねェ……」
「団長はくれるぞ。全員に」
「げェ、まじか」
意識はしているらしいものの、組織の長となるものの意向を汲む癖はそう簡単になくせるものではないようで、団長がするのであればとそれを優先させることが未だに多い。
何より周りが準備をして自分だけしていないとなれば、後々気にするであろうラガッツォに事前に話を振れたのはよかったかもしれない。
洗い物を終え、かけられていた布巾を使い水気をふき取り、それらの器具を元あった場所へ戻す。借りた物はきちんと原状復帰させるのが、この艇のルールのひとつだ。
ふと視線を流すと、丁度フライパンの蓋が開けられていた。
充満していたパンケーキの香りは、甘い生地が焼けて香ばしさを纏い更にぶわりとあたりに広がっていく。
それは確かにランドルが今まで思っていたパンケーキよりもはるかに分厚い仕上がりだ。
ラガッツォはイチゴをスライスし飾った皿の上に、ふっくらと厚みのあるパンケーキを二枚ずつ置き、バターを乗せる。
ほこほこと上がる白い湯気まで美味しそうだ。
「うわ。店だろ、これはもう」
「そこまでじゃねえよ。あとはハチミツでもメープルシロップでも、好きなのかけてどーぞ」
カトラリーからナイフとフォークを取り出し、かちゃりと皿の横に置かれた。
近くにあった椅子をガタガタと引き寄せ、二人向かいあってそこに座る。
つつ、と皿を自らの方へと近づければふるるとパンケーキが震えた。
ほんの少しの振動で揺れる、それほどまでに柔らかい仕上がりだ。
「じゃ、いただきまーす」
「いただきます」
たっぷりとかけたメープルシロップは、パンケーキの温度と溶けたバターでその上を滑り、さらりと流れ落ちキラキラと輝いていた。
そこからじゅんわりと染み込んでいき、焼き目にナイフを突き立てれば、するりと生地は分かたれる。
カットしたふるふるの柔らかな生地にフォークを突き立て口へ運ぶと、ほんのりとバターの塩味と卵がふわりと香り、甘いシロップが生地と共にしゅわりと舌の上で溶けていく。
「うっ、んま……」
思わず目を見開き、口元を押えたランドルに、ラガッツォは満足気に視線を送る。
「お口に合ったかよ」
「すげぇなお前」
「そんなにかァ?」
ふ、と目元を綻ばせながら、ラガッツォもパンケーキを口に運んだ。
ふわり、しゅわり。
とろけるように消えゆくそれは、久しぶりにも関わらずなかなかうまく出来た。
「人に食わせたことねェけど、食えたならよかったわ」
「もったいねぇな。こんなに美味いのに」
ただ誰かに振舞う機会がなかっただけにすぎないが、これは自分が生きるために覚えたもの。
生きるために腹を満たす。
簡単でそれなりの形になり、味付けも付け合わせも比較的自由が利く。
飽きが来ないのも丁度良かった。
それだけのことで、それ以外に意味のなかったものだ。
自分が作ったものを誰かが食べて、それを美味しいと言ってくれた。
誰かを満たすことができた。
その事実に、ラガッツォの胸の奥はじわりと熱を帯びる。
ほんの小さな達成感に、少しだけくすぐったさも感じていた。
ランドルは、はふはふと温かいパンケーキを頬張り、あっという間に一枚目を平らげてしまう。
その様子を見ながら、ふと先ほどの会話を思い出した。
ラガッツォは席を立ち、箱の中から何かを手に取り戻ってくる。
カットされていたイチゴを噛みしめ酸味と華やかな香りで口の中をリセットさせていたランドルのパンケーキに、たらりと褐色のシロップがかけられた。
それはトロリと広がり、また新たな甘い香りが追加される。
「ハッピーバレンタイン、ってことで」
「……! チョコソース!」
バレンタインの話題が出ていた事を思い出し、箱の中からチョコレートソースを持ち出しそこへかければ、確かにバレンタイン用のデザートとして仕上がった。
「団長に出す毒見な」
「雑かよ」
不満そうなランドルを見て、頬を綻ばせたラガッツォは、チョコレートソースの入ったボトルをくるりと逆さまにすると、空いた皿のスペースにするするとハートマークを器用に描いて見せた。
「俺が初めて送ったバレンタインだぞ。ありがたく食えよ」
「……おー嬉しくて涙出そうだわ。うっま」
更にバレンタインらしさを演出させる頭の回転の速さに感心しかけながら、騙されてなるものかとチョコレートソースのかかった部分を口に含めば素直な感想がすぐに口からこぼれる。
あまりの反応の早さに、思わずはえェよ、とラガッツォは噴き出した。
でもそれは大袈裟ではなく、チョコレートソースもとてもよく合う。
「いいじゃねぇか。団長喜ぶと思うぜ」
「お前のお墨付きとなりゃ安心だわ」
ラガッツォは同じように自分のパンケーキにもチョコレートソースをかけ、美味いなと思いながらも、違うパターンのものも思い浮かべていた。
「本当は食事系の食べたかったけどよ、さすがに朝食用のベーコンやソーセージを使うわけにもいかねェからな」
「ベーコンやソーセージをこれに合わせるのか?」
パンケーキと言えば甘いもので、おやつやデザートになるものというイメージだったランドルにとって、それは未知の食べ物に近い。
「あァ、そういう朝食メニューみたいなモンがあんだよ。塩気のある加工肉と半熟の卵のせて、マヨネーズなんかで食うのも美味いし、甘いシロップでも結構イケる。チーズソースなんかもあったな」
「へぇ。味の想像つかねぇな」
「ま、それはそのうち機会があればな」
「おー。楽しみにしとく」
そうして二人きりの夜食会の時間は過ぎていく。
その後、小腹がすくと二人厨房で夜食を作って楽しむ時間も増えた。
たまに別のゲストがいることもある。けれどもそこにパンケーキが出ることはなかった。
◇ ◇ ◇
「腹ぁ減ったな」
陽が登り始めたばかりのベッドの中。
まどろむようにまだ目を閉じたままのラガッツォに、ランドルは声をかけた。
「んー」
意識がまだ半分夢の中にいるラガッツォは、もぞりと頭をもぐらせながら曖昧な返事をする。
「飯、どうする?」
「……んー」
さらりと流れてラガッツォの顔を隠した前髪を、ランドルが指先でかきあげると、覗いた目元はゆるりと瞼をあげた。
「俺、あれ食べたいんだけど」
「……ぁに」
寝起きで発せられた声はかすれ、はっきりと音にならない。
「お前が昔作ってくれたパンケーキの食事系ってやつ」
ぼんやりとした思考は、そんなもん作ったか? と忘れかけていたが、パンケーキを作った記憶を思い出した。
その時に話したことを言われていることも、合わせて記憶が蘇る。
「よくおぼえてんな」
「なんか今急に思い出した」
ふあ、とひとつあくびをすると、ラガッツォは体勢をかえ天井を見上げる。
窓から差し込む陽の高さを確認して、ようやく身体を起こした。
「ソーセージ……ベーコン……あったか」
「昨日買ったのがあるし、卵もある」
「しゃーねェ、せっかくのリクエストだ。作るかァ。お前も手伝えよ」
「よっしゃ」
カリカリに焼いた分厚いベーコン、ばりりと焼き目のついたソーセージ、半熟に焼かれた目玉焼きと彩りに炒めたブロッコリーにチーズを絡め、真っ赤なミニトマトがともに添えられた、ふわふわパンケーキのワンプレート。
それを朝食として食べるのは、二人の関係が少し変わった、また別のお話し。